今年も蒸し暑い夏が近づいて来ています。
この季節になると自然とポロシャツが気になってくるのはわたしだけでしょうか?
きっとあなたも今年はどんなカラーのポロシャツを着ようか気になってくると思います。
今回はポロシャツの原点とも言えるラコステのポロシャツについて解説していきたいと思います。
ラコステのポロシャツ『L.12.12』の誕生
『L.12.12』はラコステの定番のポロシャツ。
シンプルなデザインにワニのワンポイントがメンズのおしゃれ心をくすぐります。
そんな『L.12.12』はどうやって誕生したのか?
『L.12.12』の誕生の秘話を解説したいと思います。
創設者はルネラコステ
ラコステの創設者はプロテニスプレイヤーだったルネラコステ。
プロテニスプレイヤーのルネラコステがどれくらいすごいかというと、
ルネ・ラコステの成績
シングル
全米 3勝
ウィンブルドン2勝
全仏 2勝(2連覇)
通算7勝
この成績を見て貰えばわかる通り、現在にたとえていうなら、ナダルやファデラーなどに匹敵するくらいの強さです。
しかも、ダブルスにも出場しており全仏2勝全米1勝の通算3勝もしています。
こんなすごい人がラコステを作ったのです。
ポロシャツが生まれたきっかけはテニス
上流階級のスポーツだったテニスはプレーする時も白の布帛シャツとロングパンツという今のスタイルからは全くかけ離れた世界でした。
夏の炎天下や蒸し暑い中でプレーをしなくてはならないテニスのことを考えて画期的な発想が生まれたのではないでしょうか。
発明家としても有名なルネラコステは引退から間もない時期に実業家のアンドレジリエともラコステの象徴とも言えるポロシャツを誕生させます。
このポロシャツこそがラコステの原点です。
ラコステのポロシャツ『L.12.12』の魅力
発明家としても存分にセンスを発揮したラコステは、次々と当時としては異例なことを成し遂げて来ました。
ラコステが発見?発明した4つのこと
発明家としても存分にセンスを発揮したラコステは、次々と当時としては異例なことを成し遂げて来ました。
ワニのマークはこうして生まれた
ラコステといえばやはりワニのマークですよね。実はこのワニのマークにはこんな秘話が残されています。
デビスカップという国対抗の国際大会でルネラコステが当時
強豪のオーストラリア代表のアンダーソンと対決する際に、ルネラコステとフランス代表のキャプテンだったピエールジルーとワニ皮のスーツケースをかけたことがメディアの耳に入り話題を集めました。残念ながらワニのスーツケースを手に入れることはできませんでしたが、ルネのプレースタイルが並外れた集中力で喰らい付いてたら離さないことが定着しワニの愛称がルネにつけられるようになりました。
実はポロシャツの生みの親はラコステ
引退後ルネはポロシャツの開発に取りかかり、80年も続くデザインを生み出しました。
現在ではカラーバリエーションが豊富でポロシャツ=ラコステという世界的なイメージまで作り上げました。
テニスプレイヤーとして有名ですが、発明家実業家というセカンドキャリアでも成功を収めていました。
鹿の子の編みはテニスプレイヤーだったから思いついた
ラコステが生み出したポロシャツには鹿の子編みという編み方を採用しています。
この鹿の子編みは今現在でもポロシャツの生地に使われています。
鹿の子編みの特徴としては、表面の編みに凹凸があり、その凹凸の部分が肌に触れる面積を最小限に抑えています。
そのおかげで汗をかいた時でも生地が肌にくっき過ぎずにベタベタしません。
それから通気性もたかいので清涼感を保つこともできます。
鹿の子編みはルネラコステが発明した最大の功績だと言い伝えられています。
左のワンポイント刺繍はラコステが始めて採用
ラコステはファッション界にも大きな功績を残しています。
当時はロゴを服につけて露出することはありませんでした。
ラコステはファッション界ではじめてワニのロゴを左胸につけてました。
このことはラコステの代表を務めたベルナール・ラコステがこう語っています。
『ラコステのオリジナリティーはワニのロゴを初めて服の表にだしたことだ』といっています。
それほど画期的な出来事だったことがわかります。
さいごに
ラコステのポロシャツの生みの親、ルネラコステはプロテニスプレイヤーでありながら、発明家・実業家として大きな功績を残しています。
ポロシャツ、鹿の子編み、ロゴの露出など今では当たり前になったものばかりですが、彼がいなかったら現代になかったかもしれません。
この普遍的なものは今後50年、100年後もきっと引き継がれたいくと思います。